コロナ自粛ですっかりどうしていいか分からなくなってしまった毎日ーーーいきなり目の前にドカンと現れた「ただひたすらに自由な時間」を前に、本当はせっせとできることをしなければならないのに、どの仕事から手をつけていいのかわからずにウンウンと唸ってベッドの上で転げ回る日々でありました。その時間もどうせ無駄な時間だということははわかっていて、それならさっさとなんでもいいから手を動かせばいいものをそれもできず、気がつくとぼんやりとソファに座りながら、普段ほとんど観ることのなかったTVドラマを一気見していたのでありました。『逃げるは恥だが役に立つ』以来、毎週真剣にドラマを観ることがなかったので、どれほどズボラでTVに関心がないかお分かりいただけるかと思うのですが、その『逃げ恥』の後番組が『カルテット』でした。
『カルテット』は本放送の時からSNSで『逃げ恥』を超える盛り上がりを見せていて、完全に乗り遅れてしまった身としては今さら便乗するわけにもいかず、ようやく先日Huluで全話観賞ということになりました。やはり乗り遅れてでも見るべきだったと後悔至極。Wikipediaに軽く目を通すだけでネタバレにぶつかってしまうという、これほど謎と驚きがそこかしこに仕掛けられたドラマが今まであったでしょうか。内容が内容なもので、このドラマについて不特定多数の前で語ることはほとんど不可能なのでありますが、椎名林檎が曲提供をした主題歌「おとなの掟」がすばらしい、ということくらいは言っても大丈夫でしょう。
なんでもこの曲は椎名林檎のインタビューによると、ドラマの主演俳優・松たか子の夫であり、彼女のアルバム『明日はどこから』のプロデュースも務める佐橋佳幸から、「アップル・レコード時代のポール・マッカートニー」というイメージを伝えられたらしく、それを念頭に置いて曲が書かれたのだと。なるほどたしかに言われてみればアルバム『ラム』のころのヒリヒリとした緊張感のあるサウンドのような。だいたいこのドラマ自体、人間同士の内なる感情がすれ違ったりぶつかり合ったり、そういう摩擦の面白さ、恐ろしさが大きな見どころ。メインの登場人物4人がみな弦楽奏者であることもあって、『ラム』のような鋭いストリングスの音色は主題歌として大変効果的に響いていた、というわけです。
ポールの長いキャリアのなかで言うと、「アップル・レコード時代」はビートルズの解散、ソロとしての独立、そしてウイングスの結成……と、特に激動といえる日々。やることなすことすべてビートルズ時代の仕事と比べられ、解散しなければよかっただの、ソロになってつまらなくなっただの、勝手なことをあーだこーだ言う連中に悩まされながらも、常に実験精神を忘れず、攻めの姿勢で絶え間なく作品を発表し続けた時期でした。中には評論家から「失敗作」の烙印を押され、一部のファンの評判が芳しくない作品もあります。しかし、この試行錯誤の時期だからこその面白さをいま一度思い出してみてほしいのです。試行錯誤ーーー言い方を変えれば「迷走していた」とも言えるのですが、この時期のあまり有名でない曲は、その後ポールがソロで生み出した名曲のように「ある時代の大ヒット曲」としての色がまったくついていない分、結果としていつ聴いても時代の最先端を歩んでいるかのような新鮮な印象で聴き続けられるものになっています。そしてそこにはウイングスとして成功し、ビートルズの解散で一度失ったポップスターの地位を取り戻してからの作品とはまた違う、なにものにも代えがたい魅力があるのです。
そんなわけで、ソロ名義のファースト・アルバム『マッカートニー』から妻・リンダとの連名作品『ラム』を経て、アップルとの契約終了後、キャピトル・レコードに移籍してウイングスの『ヴィーナス・アンド・マーズ』をリリースする前までに録音された曲のなかから、ドラマでかかっていても違和感がなさそうな曲を選んでプレイリストを作りました。主題歌の曲想の元に『ラム』があるなら、劇中にだってポールの曲がかかっていてもいいではないか、という理屈です。なぜかこの時期のポールの作品には短いインスト曲が多く、曲単体で聴くと正直なにがしたいのかいまいちよくわからない曲も、まとめて聴いてみると新たな魅力に気づきますし、なによりドラマのサウンドトラックということにして聴き直すと、ビックリするほどしっくりきます。ポール・マッカートニーが好きで、かつ『カルテット』を全話ご覧になった方……一体どれほどいらっしゃるのかわかりませんが、その方々にはきっとわかっていただけることと思います。
プレイリスト「ドラマ『カルテット』でかかっていてほしいポール・マッカートニーの曲」
●Munbo Link
「なにがしたいのかよくわからない曲」の典型であるわずか45秒の短いインスト。『ウイングス・ワイルド・ライフ』のラストにシークレット・トラックのような扱いで収録されています。
▶4人で食卓を囲んでいるときに、家森くん(高橋一生)がめんどくさいことを言い出した場面。
●Dear Boy
ピアノだけの前奏からドラマチックな『ラム』のなかでも特に張り詰めた緊張感に包まれた1曲。ポールとリンダによる多重コーラスが男女混声の「おとなの掟」とおんなじです。
▶盛り上がるときにはいつでも使える曲なので、各話の終盤にでも流してみてください。
●One More Kiss
カントリーっぽいお茶目な曲。ポールはこういう軽いノリの小品も得意で、本気の曲ばかりが続くと聴いているほうも疲れてしまうことをおそらく本能的に知っているのでしょう。
▶家森くん(高橋一生)とすずめちゃん(満島ひかり)が深夜のコンビニへアイスを買いに行く場面。
●Love is Strange
ミッキー&シルヴィアのカヴァー。おそらくポールはバディ・ホリーやエヴァリー・ブラザーズのバージョンで知ったと思われます。結成から間もないウイングスはこれをレゲエ風にカヴァー。
▶深夜のコンビニからの帰り道の場面。
●Valentine Day
楽器もすべてひとりで多重録音した『マッカートニー』に入っているインスト曲のひとつ。これも「なにがしたいかよくわからない」系で、あまりにもこういう曲が多かったためにポールは批判の的に……。
▶謎のおばさん(もたいまさこ)がすずめちゃん(満島ひかり)と密会している場面。
●The Back Seat of My Car
『ラム』のラストに収録され、見事に大団円を演出した名曲。これを聴いて、「ビートルズじゃなくてもポールはひとりで大丈夫だ」と安心した人は多いと思います。
▶家森くん(高橋一生)が車を見送る場面。
●Sunshine Sometime
これは近年発掘された未発表曲。リズムボックスとギターの多重録音と、ポールの小さなハミングだけという。『マッカートニー』の失敗もあったので、こういうミニマムなサウンドって当時のポールの立場ではなかなか発表しづらかったような気がします。2012年にリリースされた『ラム』の「Archive Collection」で初めて公式発表されました。
▶真紀さん(松たか子)がアイスの棒を並べて遊んでいる場面。
●Don’t Cry Baby
これは『マッカートニー』に入っていた「Oo You」の歌なしバージョン。これも2011年にリリースされた「Archive Collection」のボーナストラックに入っているもので、インスト状態でも聴いていて楽しいです。
▶怪しい人たちが家森くん(高橋一生)につきまとってる場面。
●Ram On
ウクレレと手拍子、リンダの多重コーラスとエレクトリック・ピアノで彩られた、なんとも幻想的なムードの曲。一見完璧でありながら、どこか不安定で揺らいだところのあるアルバム『ラム』の雰囲気がここに凝縮されています。
▶すずめちゃん(満島ひかり)が死んだように爆睡している場面。
●Bluebird
ウイングスのアコースティックな曲のなかでも特に名曲とされる1曲。リズムボックスの音や、間奏の大人っぽいサックスの音色も印象的。
▶別府くん(松田龍平)がマンションのベランダから朝焼けを見ている場面。
●3 Legs
これも「何がしたいかよくわからない」系。実際は「3本足では動物は歩けないよ」だから「3人じゃビートルズは成り立たないよ」と自分以外のメンバーに言っているのだそうです。あ、そういえばビートルズってカルテット(4人組)ですよね。
▶家森くん(高橋一生)が雪の積もった森のなかでお猿さんを探している場面。
●Bridge on the River Suite
これは「カントリー・ハムズ」という変名で発表された曲で、これも「何がしたいかよくわからない」系のインスト。
▶別府くん(松田龍平)が勤め先の倉庫に閉じ込められてしまった場面。
●Momma Miss America
『マッカートニー』に収録されたインスト曲のひとつ。ひとり多重録音のぎこちなさがそれほどなくてカッコいい。
▶真紀さん(松たか子)が単独で行動している場面。
●Loup (1st Indian on the Moon)
ウイングス結成後もときどきある「何がしたいのかよくわからない」系の怪しげなインスト。歌詞もないので、月に行ったインディアンがその後どうなったのかは知りません。
▶ありす(吉岡里帆)がやたら話に食いついてくるときの場面。
●Dear Friend
ウイングスのアルバムなのに、ほぼ全編自分ひとりがピアノを弾くだけの曲を突っ込んでしまう、そういうバランスの悪さもさすがポール。当時、曲を通じてやたらと互いにけん制しあっていたジョンとの関係について歌った曲だといわれています。
▶9話の最後のほう。
●Uncle Albert / Admiral Halsey
ちょっとしたことを壮大に膨らませて曲にするポールのドラマチック志向が極まったメドレー。途中のどしゃ降りと雷鳴のサウンドエフェクトも最高です。後半に登場するトロンボーンの雰囲気はしっかり「おとなの掟」にも継承されていますね。アルバム『ラム』では次の曲とクロスフェードで重なってしまうので、『Wings Greatest』に収録されたシングル・バージョンで。
▶前半:別府くん(松田龍平)がひとりでもやもや悩んでいる場面。
▶後半:家森くん(高橋一生)がやけにテンション高い場面。
●Walking in the Park with Eloise
これも変名の「カントリー・ハムズ」で発表された曲。ポールの父が作った曲を、ギターの名手、チェット・アトキンスを迎えて録音したもの。ウォッシュボード(洗濯板/あくまでも楽器の名称で、実際に選択をする木製のものとは異なる)を撫でる音などが入っていて、これはビートルズがデビューする前のイギリスで流行っていた庶民の音楽・スキッフルのテイストです。
▶別府くん(松田龍平)がゴミ捨てなどでやたらと仕切りたがる場面。
●おとなの掟 / カラオケ
最後に松たか子のアルバム『明日はどこから』にボーナストラック的に収録されたカラオケ・バージョンを。この流れで聴いてもあまり違和感ないと思うんですがどうでしょう。真紀さんによるカウントがイントロに追加されているので、まだの方はぜひ聴いてみてください。
おわりに
1975年にはビートルズ活動中から縛られていたアップル・レコードとの契約が終わり、ようやく法的にもビートルズは解散が認められました(つまりこのときまでは法的にグループは存続していたのです)。ポールはビートルズ時代から引き続いてEMIグループと契約し、アルバム『ヴィーナス・アンド・マース』は一部の地域を除いてキャピトル・レコードから発売されました。ちなみにジョンは主夫生活に専念するため、どこのレコード会社とも契約をしませんでした。ポールは『バンド・オン・ザ・ラン』などのヒットによって「元ビートルズのポール」から「現ウイングスのポール」となり、ヒットメーカーとしての名誉を回復。ポールにとって山あり谷ありの「アップル・レコード時代」はこうして終わりを告げたのでした。