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【アーカイブ】「ALFA50」2020年7月の推薦盤

アルファミュージックの創立50周年プロジェクト「ALFA50」のサイトに掲載されていた文章です。全世界配信が始まったアーティストとその作品について解説した「2020年7月の推薦盤」。サイトのリニューアルによって読めなくなってしまったので、こちらに転載します。

Text:真鍋新一

 アルファミュージックの創立50周年を記念したプロジェクト「ALFA50」の一環となる音源の全世界配信。7月の第4弾でも引き続き、日本のニューミュージック、シティポップを振り返るうえで重要な作品がストリーミングに登場する。今回は山本達彦桐ヶ谷仁成田賢の3人の作品に加え、朝比奈マリア滝沢洋一がそれぞれ残した唯一のアルバム、そしてある世代にとってアルファ関連作が再評価されるきっかけになったとも言える名コンピレーション『ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星』をご紹介したい。

山本達彦

 山本達彦は1954年、東京・新宿生まれ。小学2年生の時に現在の「東京少年少女合唱団」に参加し、親善公演で渡米した際には『エド・サリヴァン・ショー』に出演。これは伝説となったビートルズの出演回からわずか2ヶ月後にあたる。高校時代に同級生の渡辺香津美らとともに本格的に音楽活動を始め、成蹊大学在学中に結成したバンド「オレンジ」が、愛川欽也とかまやつひろしが司会を務めるオーディション番組『キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!』でチャンピオンとなりデビュー。かまやつのバックバンドとしても活動し、「ワンステップ・フェスティバル」のステージではムッシュの名曲をハード・ロックなアレンジで蘇らせた。

 バンドの解散と大学の卒業を経て1978年にアルファミュージックと契約し、シングル「突風〜サドゥン・ウインド」で、シンガーソングライターとしてソロデビュー。ピアノを弾き語るエレガントな魅力も相まって「シティポップの貴公子」の異名で現在も根強い人気を誇っている。「ある日 この夏〜TWO WAY SUMMER」(コーセー化粧品)、「MY MARINE MARILIN」(JAL)など、CMとのタイアップでヒットした楽曲も多い。

 今回の配信ラインナップにはデビュー・アルバム『Sudden Wind』からの初期3枚に加え、東芝EMI/イーストワールド時代を挟んで再びアルファに返り咲いた1990年の『NEXT』から94年の『貿易風 TRDE WIND-』までの作品群も含まれている。長らく再発もないまま廃盤状態になっていた作品もあり、この機会にぜひ聴いていただきたい。

『メモリアル・レイン』

 1980年に日本フォノグラムのフィリップス・レーベルからリリースされたセカンド・アルバム。全曲を自らの作曲と伊達歩(=伊集院静)の作詞で統一し、物静かなSSWのイメージを押し出したデビュー作とはうって変わり、カヴァー曲あり、共作ありのバラエティに富んだ仕上がり。かまやつひろしのアルバム『ウォーク・アゲイン』に提供した「ストレンジャー」(作詞:嶋田富士彦)に松本隆が新たに詞をつけて改題した「ミスティー・レディー」に始まり、ボサノヴァ・アレンジが気持ち良い「夢は波に乗って」、バリー・マニロウのカバー「サンライズ」(日本語詞は伊達歩)、村松邦男との共作「バイ・バイ・マイ・ラブ」、山本自身のアレンジでラグタイム風のイントロからおしゃれに展開する「ペイパー・ムーンの気分で」など聴きどころの連続だ。坂田晃一が作曲したドラマ主題歌「アゲイン」とともにボーナストラックとして収録された「メモリアル・レイン」のシングル・ヴァージョンは松任谷正隆がアレンジした別テイクで、曲の構成もまったく異なる。

桐ヶ谷仁

 桐ヶ谷仁は1955年、東京生まれ。1976年からヤマハのポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)の制作スタッフとして、応募作品のアレンジやプロデュースを務めたのち、自身で書きためていた曲を記念にレコード化しようとデモテープを各方面に送っていたところを有賀恒夫の目に留まり、アルファの男性ソロ・アーティストの契約第1号となった。

 1979年にアルバム『My Love for You』でデビュー。ヒット曲としては、グリコ・ヨーグルトのCMイメージ・ソングにもなった「遠い日のときめき」がある(セカンド・アルバム『Windy』に収録)。82年からは松任谷由実の楽曲を管理する雲母音楽出版に参加し、作曲家として麗美、富田靖子、松本伊代などに曲を提供。86年からは松任谷正隆が創立した「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」で作詞・作曲、ヴォーカルの講師も務めた。ユーミンの『REINCARNATION』以降のアルバムや、須藤薫のアルバム『Planetarium』、松田聖子の「瞳はダイアモンド」「ピンクのモーツァルト」などの作品で弟・桐ヶ谷“Bobby”俊博とともにコーラスで参加しており、そこで彼の名を知った人も多いだろう。2000年にはアメリカの著名なボイストレーナー、セス・リッグスの妻・フローレンスに学び、日本人の発声に合わせて声帯をコントロールする独自の理論「キリガヤ・メソッド」を確立。m-floや私立恵比寿中学、阿部真央などのアーティストのほか、コロナ禍の現在もオンラインで一般向けにも指導を行なっている。

『My Love for You』

 1979年にアルファ・レコードからリリースされたファースト・アルバム。前述のように収録曲の大半はデビュー前に書かれていたもので、ラブソング作りに凝っていたという彼が携えた繊細なバラードの数々は、アコースティックな編成にソフトなシンセサイザーの音色が絡む、和製AORとして完成度の高い仕上がりになっている。演奏は結成間もない頃のYMOメンバーをはじめ、アルファ制作の作品ではおなじみの錚々たるミュージシャンたちが担当。「あなたのいる人生」のイントロと間奏で聴かれる山本潤子のスキャットにも注目したい。また、去る78年からアルファとの提携が始まっていたA&Mレコードとの関係で来日していたプロデューサーのトミー・リピューマとエンジニアのアル・シュミットから助言を受け、マイケル・フランクスの歌入れを参考にしたのだそうだ。それは「ヘッドホンを使わずに、小さな音でカラオケを聴きながら、マイクの近くで小さい声で歌う」ということで、アル・シュミットは制作中のスタジオにも招かれ、本作のミキシングにも関与しているとのこと。

成田賢

 成田賢は1945年、満州生まれ。引き揚げ後、札幌の高校に在学中からバンド活動を始め、16歳にして単身関西へ。歌手デビューを目指すも、実態はボーヤ暮らしや地方営業の連続で失意のままに帰郷。函館にやってきたスリーファンキーズの前座を務めた際にバックバンドのメンバーから誘われ、ようやくデビューのチャンスをつかむ。1967年、ギタリストの石間秀樹とともに上京した成田はグループサウンズのブームのなかでキングレコードからザ・ビーバーズとしてデビューを果たし、元スリーファンキーズの早瀬雅男とのツイン・ヴォーカルで「初恋の丘」「君なき世界」などのシングルを残した。前後して到来したニューロックの時代にはのちにゴダイゴのメンバーになる浅野孝巳らと組んだバンド「エモーション」で活動するも病に倒れグループを離脱。1年近い療養生活を余儀なくされたが、療養中に書きためた曲をミッキー・カーチスが気に入り、日本コロムビアのデノン/マッシュルーム・レーベルからソロ・アルバムをリリースした。

 今回のラインナップにある2枚のアルバム『眠りからさめて』『汚れた街にいても』ではヴォーカリスト、ソングライターとしての才能を遺憾なく発揮した。スタジオシンガーとしての仕事も多く、一般的には「東ハトキャラメルコーン」、『サイボーグ009』や『電子戦隊デンジマン』など、CM、アニメ、特撮ソングの歌手として知られている。バイク事故とその後遺症のために表舞台から遠ざかっていた時期もあったが、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の挿入歌で復活。GSやアニソン関連のイベントで変わらぬ歌声を披露し、得意のブルースハープの腕前を見せることもあった。しかし、SNSやブログを通じて積極的にファンと交流を続けていた矢先の2018年11月、肺炎により73歳で急死。突然の訃報は彼が関わってきたあらゆるジャンルのリスナーに衝撃を与え、「不屈のシンガー」の偉大さが改めて浮き彫りになった。今回配信される2作品と、復活のきっかけとなった本人選曲のベストアルバム『誰がために 成田賢ヒストリー』で彼の歌声の普遍性を感じてほしい。

『汚れた街にいても』

 前作『眠りからさめて』の好評を受けて制作された1972年リリースのセカンド・アルバム。全体的に売れ線を意識した作品で、「愛ある限り」安井かずみに詞を依頼し、コンペの上で瀬尾一三の曲を採用するという歌謡曲のような試みがなされている。営業的なプロデュース方針とアーティストの意向は往々にしてすれ違うものだが、ここでは成田本人も大いに乗り気で歌謡曲を意識した楽曲を自作しているのが面白い。「遠い愛の日を夢みて」はジャガーズのヴォーカリスト・岡本信のソロデビューのために提供した曲のセルフ・カヴァーで、これもまた歌謡曲のフィールドでも通用する濃厚な楽曲だ。馬飼野俊一が編曲した「今日からエトランゼ」以外はすべて大野雄二がアレンジを担当。マーヴィン・ゲイをお手本にしたきらびやかなニューソウルと、杉本喜代志鈴木茂山内テツ田中清司らの演奏陣が繰り出すニューロックが同居したこの時代ならではの仕上がりに、洋楽の流行をいち早く取り入れてレコード・ビジネスを成立させようとしたマッシュルームとアルファの姿勢が反映されているのではないだろうか。当時のリスナーの反応は「安易に売れ線に走った」ということで賛否両論、セールスも芳しくなかったというが、歌謡曲だロックだというある種の断絶が過去のものとなった今こそ、後世に残したいと思える作品である。

朝比奈マリア『MARIA』

 『MARIA』は当時パルコのCMで鮮烈にデビューしたモデル・朝比奈マリアのアルバムで、アルファでは他に大村憲司やカシオペアの作品でプロデュース実績のあるハーヴィー・メイソンを招いたディスコ・アルバム。吉田美奈子山下達郎がコーラスでリードする「ディスコ・ギャル」のほか、アレンジャー、プレイヤーともにアルファ周辺ミュージシャンが大集結。シティポップ好きなら聴かない手はない。

滝沢洋一『レオニズの彼方に』

 『レオニズの彼方に』ハイ・ファイ・セットに提供した「メモランダム」のセルフ・カヴァーを含む、作曲家・滝沢洋一の作品。彼の経歴はほとんど謎に包まれているが実はシンガーソングライターであり、これが唯一のアルバム。彼のクセのないヴォーカルが佐藤博によるメロウなアレンジに乗り、ひたすらに心地よい世界が広がる。近年のCD化まですっかり埋もれていた作品だが、和製AORの先駆けとして山本達彦、桐ヶ谷仁の作品とともに記憶すべき1枚だ。滝沢は先だって紹介した山本達彦の『メモリアル・レイン』には同名のタイトル曲を、『MARIA』にも「訣別」を提供しており、今回の配信プロジェクトの隠れたキーマンと言えるかもしれない。

『ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星』

 『ソフトロック・ドライヴィン』は、1996年に土龍団によって編まれた再発シリーズ。これは1970年に大阪で開催された日本万国博覧会前後に職業作曲家によって書かれたハイセンスな洋楽志向の楽曲をレコード会社ごとに選曲した企画で、本作は、その際に発売されたアルファミュージック編『ソフトロック・ドライヴィン * 栄光の朝』の改訂版。こちらの選曲・監修は元・土龍団の濱田髙志が担当している。同シリーズは、歌手よりも作・編曲家に焦点をあてたのが特徴で、ブックレットには、各タイトルいずれもデータを中心としたおよそ2万字を超える詳細な解説が掲載されていた。

 2006年に発売された本作『ソフトロック・ドライヴィン * 美しい星』は、収録曲の半数以上がアルファ創立者の村井邦彦による楽曲で、シリーズ中ひときわレーベルのカラーが明確である。今聴くと、あたかも当時は評価されなかった「早すぎた名曲」たちが時代を超えて語りかけてくるようだ。アルファの第1弾リリースだったフィフィ・ザ・フリー「栄光の朝」、名ドラマー・石川晶が歌う「土曜の夜に何が起ったか」など、立ち上げ間もない頃のアルファの貴重な音源が多数含まれている。

アルファミュージック創立50周年プロジェクト“ALFA50”第4弾!本日7月31日より「山本 達彦」、「桐ヶ谷 仁」他を全世界配信!
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