いったい、どこから説明をしたら良いやらまったくわからない。ビートルズよりも、エルヴィスよりも前に、ロックンロールという新しい音楽への道筋を示してくれたシンガー、リトル・リチャードの生涯をたどるドキュメンタリー映画である。そんな映画、あの時代の音楽が大好きな私はうれしくて仕方がないけれども、彼のことを一般の人たちになんて紹介をしてあげたら良いものか?
とにかく昔々、リトル・リチャードというすごい人がいたのである。名前は「リトル」だが、その功績は超偉大。チャック・ベリーらと並んで「ロックンロールの創始者」と呼ぶべき存在だ。「ロックンロールの創始者」というキーワードから思い出される曲にはどんなものがあるだろう? ある人はビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と言い、またある人はエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」と言うだろう。どちらも白人のアーティストによる楽曲である。
とはいえ、ここで頭に入れておいていただきたいのは、1950年代の半ばに大流行したロックンロールという音楽スタイルが生まれた背景は、主に黒人たちによって歌われていたR&B(リズム&ブルース)の影響をなくして語れないものであった、ということだ。実際、リトル・リチャードの代表曲のほとんどは彼自身のレコードがリリースされてからほどなくして白人アーティストによってカヴァーされることによって世界的に広まった。これは言うまでもなく当時のアメリカ国内での黒人の地位の低さを示すもので、モータウン・レーベルの黒人アーティストたちがヒットチャートを席巻するようになるのはもう少し後の話。
では彼の代表曲のタイトルをざっと挙げてみよう。「トゥッティ・フルッティ」「のっぽのサリー」「リップ・イット・アップ」「レディ・テディ」……これらはすべて初期のエルヴィスがカヴァーしている。「ルシール」はエヴァリー・ブラザーズが、「グッド・ゴリー・ミス・モリー」はジェリー・リー・ルイスが……という具合に、リトル・リチャードが先にレコーディングした曲を後から白人アーティストがヒットさせたケースはかなり多い。日本ではブライアン・ハイランドのヒット曲として有名な「ベイビー・フェイス」もそう。「空耳アワー」のエンディングでチョロっとかかるあの曲だ。
その後、1960年代に大活躍したビートルズやローリング・ストーンズ、および彼らに代表されるイギリス生まれのグループが偉かったのは、自分たちの音楽的なルーツがどこにあったのか、誰をリスペクトすべきかをきちんとわかっていたことだと思う。エルヴィスはもちろん、カール・パーキンスやバディ・ホリーといった白人アーティストから受けた影響と同じように、ロックンロール誕生前後のR&Bにも目を向け、その時期の楽曲を盛んにカヴァーをすることで、当時すでに本国アメリカでは力を失いつつあったロックンロールの素晴らしさを見直し、発展させ、エキサイティングな展開を改めて世界中に示したのである。ビートルズが歌った「カンザス・シティ」は白人の作曲家であるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーというコンビによって書かれた曲だが、そのアレンジはリトル・リチャードが歌ったものをベースにしているのも彼らの殊勝な姿勢の表れだ。彼がイギリス・ツアーを敢行した際のバックバンドをサウンズ・インコーポレーテッドが務めていたというエピソードも思わずうれしくなってしまう話。彼らがビートルズの前座を務めた際のパフォーマンス映像を見たことのある人ならわかるだろう。通常のバンド編成に加えてサックス担当が3人もいたこのパワフルなインスト・バンドとリトル・リチャードの相性は、当時の音源が残っていなくても想像だけで抜群だとわかる。
そしてビートルズのコンサートで締めの1曲として定番だったのが「のっぽのサリー」。この曲でリード・ヴォーカルをとるポール・マッカートニーは、MCで必ず「リトル・リッチーの “ロング・トール・サリー”!」と、必ず彼の名前を挙げてから声を張り上げ歌い出したものだ。金切り声のようなヴォーカル・スタイルはもちろんリトル・リチャード譲り。実際にビートルズはドイツ・ハンブルグでの修行時代に彼とステージを共にして、そのスピリットを直接受け継いでいる。このあたりの話も『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』では丁寧に映像と証言の積み重ねで感動的に見せてくれる。当時レコードにはならなかったが、BBCラジオの番組に出演した際にもビートルズは「ルシール」「ウー!マイ・ソウル」とリトル・リチャードのカヴァーをポールのヴォーカルで披露。ジョン・レノンはソロ時代のカヴァー・アルバム『ロックンロール』で「リップ・イット・アップ」と「レディ・テディ」、「スリッピン・アンド・スライディン」と「センド・ミー・サム・ラヴィン」を採り上げている。要するに「好きで好きでしょうがない」というわけだ。
1969年、ビートルズ解散直前のジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンドを率いて出演した「トロント・ロックンロール・リバイバル」にはリトル・リチャードも出演しており、『リバイバル69 〜伝説のロックフェス〜』や『スウィート・トロント』などの映像作品にはチャック・ベリーやボー・ディドリーらと共にその姿が収められている。その時の彼の衣装を見て驚いた人は多かったのではなかろうか。四角い小さなミラーが全身に貼られたスーツで登場し、ピンスポットの光を浴びながら、歩くミラーボールのごとく輝いていたのである。「あれ? リトル・リチャードってこんな感じの人だったっけ?」と。
彼は同性愛者であることをかなり早い段階で公表していた。LGBTQに対する社会的な理解がほぼ皆無の時代に、彼がどういった人々と交流していたのか。こういうことはただレコードを聴いているだけではわからない。この映画でもっとも発見の多いパートであった。当たり前だが、単にカミングアウトをすれば自由になれるはずもない。ここにも先駆者ならではの苦しみがある。豊富な映像アーカイヴの断片によって示される彼の決まり文句は美川憲一と同じ「おだまり!」。いわゆる「オネエ系」として面白おかしく消費されてしまったこともそのひとつだ。しかも彼はただでさえ破天荒な性格のロックンローラー。長い人生のなかで、ある意味支離滅裂といってもいいほどに何度も考え方や姿勢を変え、それによってたくさんの人を困惑させることもあったという。しかしそれもあの時代にあっては仕方がないというか、彼の思想の紆余曲折そのものが日々間違いを繰り返しながら学んでいく人の道のようなものを示しているような気がするのである。苦しみが深まるほどに彼のトークにおける自虐ネタのキレがどんどん良くなってしまう様子も、まったく他人事と思えない。
最後になるが、『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』に登場する証言者・解説者のなかに、かつて彼が全盛期に所属していたレーベル、スペシャリティ・レコードのヒストリアン(歴史家)という人物が登場する。レコード会社が自社の歴史を研究するための専門役職を設けているということに驚いた。日本でも「社史編纂室」という部屋を持つ大企業もあるけれど、ポピュラーカルチャーの歴史研究という分野においては社史程度の取り組みでは到底不十分。日本でもこのくらいの音楽ドキュメンタリーを軽々と作れるようにならなくてはならない。さまざまな証言や残された映像の断片、研究者や影響を受けたミュージシャンによる後年の視点から、故人の生き方や心の葛藤を鋭く切り取って見せるのはドキュメンタリーならではの醍醐味だ。
リトル・リチャードは2020年に87歳に亡くなり、その3年後の現在、こうして彼の生涯をたどるドキュメンタリー映画が作られた。今だからこそ作ることのできた映画である。あと10年もすれば彼を身近に知る人々もいなくなってしまうに違いない。その時、これから先の時代を生きていく我々は、生まれる遥か前に世界を変えていった先人たちの功績を正しく語り継いでいくことが果たしてできるのか? 『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』を観た人は、彼の音楽が好きであれば好きであるほど、そんな覚悟を突きつけられるだろう。
映画の公式サイトでは登場するミュージシャンや、交流のあった人々のプロフィールが網羅されていて予習・復習に最適です。個人的には知らない人の名前が出ると気になって仕方がなくなってしまうので、先に読んでおけばよかったと後悔しています。
サウンドトラックもリリースされております。映画に登場した楽曲をもう一度聴き返したい方はこちら。