ソニー・ミュージックのWebマガジン『otonano』2024年2月号の「特集・筒美京平」にて、アレンジャーとして1970年代の中盤から京平サウンドを支えた作・編曲家の萩田光雄さんと、昭和歌謡マニアとしても知られる俳優の半田健人さんのスペシャル対談の進行と構成を担当いたしました。全4回で、2月中は毎週更新される予定です。
今回は萩田さんにご自身が編曲された筒美作品から10曲を選んでいただき、それらの楽曲について順を追ってゆっくりお話を伺うことになりました。なんといっても太田裕美さんが歌ったあの名曲「木綿のハンカチーフ」のアレンジャーは萩田さん。シティポップ系からソウル・ディスコ系、ど真ん中の歌謡曲に至るまで、本当に幅広いサウンドを自在に操り演出をされる方です。萩田さんご自身の著書の言葉をタイトルを借りれば「ヒット曲の料理人」。80年代に萩田さんと数多くの作品を残した南野陽子さんによれば「なにがあっても動揺しないお医者様」。そして萩田さんご本人は、歌謡曲作りの現場を「工場みたいなもの」とサラッと表現されました。
サウンドの全体像を考えながら各ミュージシャンが演奏するためのスコアをひとつひとつ書き、構築していくのがアレンジャーの仕事です。イントロや間奏のフレーズを考えるのも萩田さんのお仕事。こうした作業を何百、何千と50年以上続けられてきたわけです。仕事量が膨大な歌謡曲のアレンジャーや作曲家はみなさんそうらしいのですが、「忘れるのも仕事のうち」ということで、それでもどうしても印象に残っているエピソードや、今の耳で改めてわかった筒美さんの楽曲の魅力などを語っていただきました。
せっかくなので萩田さんがメインで編曲された名盤を少しご紹介(京平さん関連以外で)
半田健人さんは昭和歌謡好きの先輩、と呼ばせていただきたいです。年齢は半田さんが少し上ですが、世代的には同じ。J-POPブームのなかですでに過去のものになりつつあった昭和歌謡の面白さにこの世代では割と早めに(笑)気がつき、後追いでレコードを集めながら沼にハマっていったという、このあたりのルートもまったく一緒。以前、NHKのバラエティ番組で、NHKの大きなスタジオにオーケストラを集めてピンク・レディーの「サウスポー」のイントロを再現するというとんでもない企画があり、その現場で飛び跳ねんばかりに喜んでいた半田さんを見て、「あー! ここに仲間がいた!」と心強い気持ちになったのを憶えています。
後で調べてみたら、その番組は2007年放送の『通』という番組で、作詞家・阿久悠さんの生前最後のTV出演だったそう。阿久悠さんの訃報をきっかけにテレビに昭和歌謡の映像がたくさんオンエアされ、それまで漠然としかわかっていなかった筒美京平さんのすごさを知り、これはちゃんと聴かなければと誓ったきっかけだったわけです。それから10数年後にこういうお仕事ができるなんて、非常に感慨深いものがありました。これだけのボリュームで昭和歌謡の証言が聞ける機会もなかなかないと思いますので、曲を聴きながらじっくりとお読みいただけたらいいなと思います。
そして同じ特集では馬飼野さんが「筒美京平プレイリスト」企画ということで、8つのテーマでサブスクにある筒美作品を選曲しています。対談の進行で『ヒット曲の料理人』の聞き手と構成をされた馬飼野さんに助けていただきつつ、こちらはプレイリストの選曲に意見を出しつつという感じで、一昨年の『筒美京平の記憶』のボーナスステージもしても楽しめる企画となっております。