発売中の『昭和40年男 Vol.77』の連載特集『昭和50年/1975年 俺たちの時間旅行タイム・トラベル』にて取材・寄稿いたしました。
今回は「昭和50年ーー1975年」という年にスポットを当てた第二特集で、この時期に映画界を席巻した超大作パニック映画についての原稿を書きまくりました。1970年代からハリウッドでオールスター、スペクタクル、大災害、死傷者多数なカロリー高めの豪華な映画が相次いで制作され、代表的な作品に『大空港』『エアポート ’75』『ポセイドン・アドベンチャー』『大地震』『タワーリング・インフェルノ』などがあります。日本でもそれに影響されるかたちで『日本沈没』などの作品が生まれました。
大滝詠一さんの『ナイアガラ・ムーン』(1975)に収録されている「ハンド・クラッピング・ルンバ」の歌詞が思い出されますね。「日本沈没 サブウェイ・パニック 拍手手拍子 ポセイドン・アドヴェンチャー 大地震 拍手手拍子……」つまり、当時のエンターテインメントの話題の中心に超大作パニック映画があったわけです。
作るのにお金はかかるけど、お金をかけた分だけちゃんと大ヒットしなければ儲からないという、ハイリスク、ハイリターンな娯楽映画の宿命。そして1980年の『世界崩壊の序曲』あたりで完全に世間から飽きられ、ブームが廃れてしまうところまで書きたかったのですが、そのあたりはバッサリとカット。限られたスペースにうまく収めるのがなかなか大変でした。当たり前の話なんですが、知識としては知っていても、別に私自身は当時を生きていたわけではないので、「リアルタイマーの方々が当時を思い出しながら読む文章」としてそれなりの正当性を持たせるにはどうしたらいいか、それはけっこう悩みました。助けになったのは父親との映画体験で、幼いころに一緒に観ていた70年代の映画やら、カセットテープで聴いていた主題歌のサントラやら、そういう記憶をたぐりながらまとめていった感じです。小学生の頃に植え付けられた映画やらなんやらのあれこれで結局自分の人生決まっちゃってるわけなので、ホント親の責任は重大ですね。
そして目玉は国産パニック超大作の名作『新幹線大爆破』の制作現場ドキュメント。編集部から「誰か当時の話についてインタビューできる人はいないでしょうか?」と打診があり、そうだよな……佐藤純彌監督はもう亡くなられているし、でもせっかくの機会なのだから、どうにか当時を知る方の生の声を……ということで、「監督補佐を務められた岡本明久監督とお話しできませんか?」と提案してみました。日本映画監督協会に問い合わせていただき、なんと取材成立。ご高齢にもかかわらず長時間の取材を受けていただきました。そして場所は東映本社の一室。緊張しましたよ。岡本監督に熱いエピソードの数々を披露いただき、とても超大作を紹介するのにふさわしいボリュームのある記事にできました。伝説を語り継ぐお手伝いができてとてもうれしいです。