ビートルズソロアルバム解説サブスクで聴ける名盤ガイド

Paul McCartney『McCartney』(1970)

『ポール・マッカートニー』
沈黙を破る話題のソロ・アルバム

リリース:1970年4月17日
(日本:1970年6月25日、リンゴ・スター『スタンダード・コレクション』と同時発売)
レーベル:アップル/EMI(日本:アップル/東芝音楽工業)

Side A
1 The Lovely Linda(ラヴリー・リンダ)
2 That Would Be Something
 (きっと何かが待っている)
3 Valentine Day(バレンタイン・デイ)
4 Every Night(エヴリナイト)
5 Hot As Sun/Glasses
 (燃ゆるが如く太陽を/グラシィズ)
6 Junk(ジャンク)
7 Man We Was Lonely(男はとっても寂しいもの)

Side B
8 Oo You(ウー・ユー)
9 Momma Miss America
 (ママ・ミス・アメリカ)
10 Teddy Boy(テディ・ボーイ)
11 Singalong Junk
 (シンガロング・ジャンク)
12 Maybe I’m Amazed
 (恋することのもどかしさ)
13 Kreen-Akrore(クリーン・アクロア)

 ポール・マッカートニー初のソロ・アルバム『McCartney(マッカートニー)にまつわる話はなにかとネガティヴなものが多い。一番有名なのは、このアルバムのリリースをもってポールがビートルズからの脱退を宣言したこと。そもそも「脱退とは?」という話だが、そのニュースは実質的にビートルズの解散を意味する。1966年以来、何度か噂されていたことがとうとう公になってしまった瞬間だった。もうひとつある。本作は同名のドキュメンタリー映画の公開と同時に発売されたビートルズ最後のアルバム『レット・イット・ビー』の1ヵ月前にリリースされ、その発売日をめぐってひと悶着あった。「ソロ・アルバムの発売は『レット・イット・ビー』の後にしてほしい」と交渉に来たリンゴを、ポールが怒鳴って追い返してしまったのだ。これもビートルズの終焉を象徴するエピソードとして知られている。

 そんなゴタゴタのなかで発表された『マッカートニー』はそうした背景を差し引いても問題作といえる内容であった。妻・リンダのコーラスを除けば、すべての演奏とヴォーカルをポールひとりで録音「ヴァレンタイン・デイ」「クリーン・アクロア」のようなインストゥルメンタル(演奏のみ)の楽曲はなんらかの意図はあるにせよ、思いついたことを咀嚼せず出しているというか、どこか行き当たりばったりな印象を残す。そんなあまりに簡素なサウンドの楽曲が並ぶ本作を初めて聴いたとき、どんなに熱心にビートルズを愛してきたファンでも戸惑いや物足りなさといった複雑な感情を覚えるものである、最初は。

 それでもこれが愛すべき作品だと思えるようになったのは、ロンドンの自宅で録音されたというひとり多重録音の手作り感から伝わってくるパーソナルな雰囲気や、その粗削りな作品作りはポールがビートルズとしての活動のなかではしたくてもできないことだった、ということに気がつくようになってからである。それまで常に完成度の高い作品作りを要求され、それに応えてきたポールがよりによってこれをやった、というギャップもあっただろう。そして、他メンバー抜きでのソロ・レコーディングが行われていた『ホワイト・アルバム』からの延長として、「Junk(ジャンク)」「Maybe I’m Amazed(恋することのもどかしさ)というポールの生涯ベスト級の名曲が収録されていることも大きい。

 本作が「制作途中のデモテープのよう」と形容されることが多いのは、ひとり多重録音ゆえの音の少なさなど、サウンド面が貧弱なことを指しているのだろう。トロピカルなインスト「Hot as Sun(ホット・アズ・サン)はそのままで終わればいいものの、水を入れたグラスの縁をこする音「Glasses(グラシィズ)が入ったかと思うと、いきなり音が飛んでポールがフランク・シナトラに書いて拒否されたという「Suicide(スーサイド)のピアノ弾き語りの断片に繋がる。しかも曲が終わる前にフェードアウト。こういう不可思議な編集のせいで本作全体が未完成品の寄せ集めのように思われてしまうのだ。「Singalong Junk(シンガロング・ジャンク)は歌なしの「ジャンク」。歌ありと歌なしと、どちらも素晴らしいからどっちも入れてしまえという、そういう大胆な発想なのか、それともなにも考えていないだけなのか迷うが、やっぱりポールはちゃんとアルバムの構成を考えている。機材のチェックも兼ねて録音されたという「The Lovely Linda(ラヴリー・リンダ)…おそらくウォームアップとして即興で歌われた曲でゆるく幕を開けたかと思うと、やはりひとりで録音されたとは思えない名曲「恋することのもどかしさ」でクライマックスに至るというこの流れ。その気になれば全曲を本気のテンションで作り上げることもできただろうが、ポールはそうはしなかった。むしろ、そうしないのが今回のテーマだったのだ。

 冒頭に書いたゴタゴタについて、少しポールの肩を持ってみる。これはポールにしてみれば我慢の限界というか、いろいろなことが重なった末の結果であった。ジョンが「ビートルズと離婚したい」と言ってグループからの脱退を宣言したのは1969年の9月。あまりのショックでスコットランドの農場に引きこもり、数ヶ月間ボロボロの生活を続けていたポールがようやくなにかを始めなければと録音したのが本作である。リンゴの一件にしても、あれは自分たちで作ったはずの会社・アップルを後から来て乗っ取ったアラン・クレインの指示である。彼の使い走りのようにやってきたリンゴに話すことなどなかっただろう。

 もはや修復が不可能になったグループにケジメをつけること、アップルをアラン・クレインの思い通りにさせないこと。そしてポールは、解散のムードを前面に押し出した『レット・イット・ビー』の映画とアルバムよりも先に、解散を公にするという賭けに出た。おそらくこれがどうしてもソロアルバムを先にリリースしたかった理由ではないだろうかと思う。そしてグループの解散をビジネスに利用されてしまうくらいなら、自分からそれを利用するほうに回ってやるという、この行為が利己的な裏切りと見なされ、他のメンバーと決定的な遺恨を残してしまうことになる。

 どんなにつらい状況でもポジティヴに乗り越えてきたポールも、さすがにこの時ばかりは少し弱気だ。「Man We was Lonely(男はとっても寂しいもの)などを聴くと、リンダの存在と音楽作りの楽しさにささやかな癒しを求めているようである。「ねぇ、僕らは孤独だったんだ。そう、孤独だったんだ。でも今はいつだって最高さ」。それでもゆっくりと前を向き、力強くソロ・アーティストとしての第一歩をポールは踏み出した。その後の数年、ポールはメディアからの酷評にさらされ続けることになるが、あらゆる意味で吹っ切れた彼にもはや迷いなどはなかった。『マッカートニー』という作品はそのためのステップとして、彼にとってどうしても必要だったのである。

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